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副島宏氏講演会

顔写真 副島 宏(そえじま ひろし)
大正11年福岡県生まれ。
元九州学院大学工学部航空科教授。

家庭再建運動に興味をもち、世界的な規模で推進している真の家庭運動に賛同、多くの国際会議に参加している。現在、真の家庭推進協議会副会長。福岡では、有識者訓読会の議長として活躍中。


家庭における「人づくり」

伝統的な価値観の見直し

「平成時代」に入って、今も盛んに叫ばれているのが「新しい家庭のあり方」、「青少年教育の再建」などの問題です。これは、家庭が崩壊し、学校教育が崩壊してしまったので新たに立て直そうということです。

戦前の教育を受けて今を生きている私にとっては、このような現代の問題を考える上で、長年築かれてきた日本の伝統を振り返ってみる必要を感じています。戦後を境に大きく変わった日本人の価値観。幸わせのためにと築かれた新しい価値観は、昔からの伝統を無視し、蔑視さえしてきたと思います。それで私は、今までの伝統が悪かったから家庭や、学校教育が崩壊したのか、それとも伝統というのを全て放棄してしまったが故に、今日の様な状況になってしまったのか検討してみる必要があると考えたのです。

それでは、「家庭」は本来どのような「場」であるべきでしょうか。「家庭」について、教育学者の知人が雑談の中でこんな話をしてくれました。「家庭」とは英語で「HOME」と綴りますね。その意味は何だと思いますか?知人は、なかなか旨い説明をしてくれました。

HOMEとは

1.H:Harmony (調和と連帯の尊さを自覚する)
 人の「幸福」というものは、物質的豊かさや生活の便利さだけではなく、「人間交互の愛と信頼」の絆にあります。親と子供の相互間の一体化した心情的、精神的満足感、つまり、「触れあいの度合」に比例するものです。古代中国では「同餐、同居、同財」が家の三大支柱であると言われて来ました。しかし、今日の家庭では、核家族となったためか、その多くが失われています。一家団欒の中で話し合うという「場」を幼いときから失っている家庭では、子供の心理的不安定さが残りやすいという報告が多く出されています。犯罪を犯して拘留された少年の中には、「孤食」※の寂しい家庭での絵を描く少年たちが意外に多いという報告もなされています。
2.O:Order (家族の秩序と家風の伝統を守る場)
 家庭には本来、「規律」や「規範」がなければならないものです。従って、その家庭の誇るべき「生活指標」と「風格ある家風」、いわば家の「家族精神」を樹立する「場」が「家庭」であり、その中で「しつけ」がなされ、「親子の心の交流がなされるのです。いわば、縦的、横的な秩序を確立することです。
3.M:Mutual Aid (相互の助け合いの自覚と尊さを体験する場)
 家庭とは、小さい時から、互いに助け合うことの尊さを自覚させ、そして祖父母、父母、兄弟等に対する「いたわり」、他のお年寄りなどに対する「奉仕」が直ちにできるような子供に育てる「場」であると言えます。それ故に、子供の時から孤老の苦悩がわかり、自然に手を差し伸べることのできるような「情操教育」を無言の家に教えている家庭では、世にいう「家庭問題」などということは存在しないはずです。仏教思想に「開示悟入」という言葉があります。端的に言えば、やる気を起こさせるのが「教育」であると言えます。自分も家庭の中で何か役に立っているのだという自覚が生まれると、幼くても自ら進んで家事手伝いなどをする様になります。いわば、親子間での人間的、精神的相互乗り入れ、すなわち「入我我入」の信頼感を持つような子供に育てる「場」でもあるからです。
4.E:Educe (大切なものを引き出すための場)
 大切なものとは何でしょうか?「人間性」です。それは「しつけ」から始まります。人はこの世に生を受け、一番大切なものは、「人生とは何か?」という問いかけです。人生の目的を教える「場」が家庭です。それは「人間性の尊さ」と「神仏への信仰心」を失わないということです。神を畏れ、敬虔な心で神仏に対面するとき、人間本来の醜さ、苦悩、悲しみなどの姿を自覚させられるものです。そしてそこに「真の祈りの心」が芽生えてきます。自然に祈りができる様になるのは幼児期であって、成人してからはなかなか出来ないものです。そこから縦的な秩序が生まれてきます。日本人と欧米人との信仰に対する出発点の違いがそこにあると言えましょう。
 ところで「Educe」とは、大切なものを引き出すという意味です。それ故、教育のことを英語で「Education」と言うのは、人間の大事なものをその子から引き出すことであって、逆に多くのものを詰め込むことではないのです。今日、親も学校の教師も、また学習塾でも、詰め込み教育に堕ちているのは、本来の教育という意味とは方向が全く違うと言えます。それ故に、その子の持つ「創造性」を引き出すような教育姿勢とは何かを再考することが教育の再建には必要であるのではないかと思われます。

「人間の尊厳さ」を教えよう

今の日本の教育行政は、学校で神仏や先祖への尊厳性、敬虔性などについては、故意に触れることを畏れています。それ故、そこからくる「人間の尊厳さ」などは教えていません。そのため、汚職、凶悪犯罪、自殺・殺人、血肉の争いにまでエスカレートしていくのです。さらに、校内暴力、登校拒否、中退などの現象は、「人生に対する問いかけ」に失敗しているのです。親も教師も教えてはいないからです。それ故に、「家庭」(HOME)の意味を青少年たちに教え、その重要性を理解せしめることが望まれます。二十一世紀は青少年たちの時代です。そこに現在の親たちは新世紀を迎えることの出来る子ども達を育てる役割と責任と使命があることを認識し直すことが必要であると言えます。

教育は親子の愛の深さの「くらべっこ」です。ともに無償の愛をもって、条件付きではいけないのです。そして戦前は、人間教育として「何々せよ」と命令的でした。戦後は「何々しましょう」という自発心を持つように教えてきました。これからの二一世紀世代の若者には、「こういう人になりましょう」と子供の心が深く感動を覚えるような「愛の体験」を如何に与えるかが問われることになるでしょう。それが親として、社会人としての私たちの責任と義務であると思います。

※孤食:食事を家族と一緒にするのではなく、一人でする食事のこと。